コールセンター そこは魔界の入り口
どこにあのドラマのような世界があるのでしょうか?
前回の続きです。
僕は 最後の工場を後にし、スーツを着る仕事がしたくあてもなく面接を受け続けました。
けれど、書類選考で落とされ面接すら受けられません。
今は思えば、ExcelやWardも使えない、営業などの経験は無く工場でしか働いたことの無い僕が落とされることも当然のことです。
正直適当な気持ちで履歴書も書いておりました。
採用する側は採用のプロです。
今まで何百人の履歴書、実際の面接、入社してからの勤務実績。
すぐに見抜くでしょう。
当時の僕はそんな事も分からず、適当に給料だけを見て応募しておりました。
通るハズないんです。
そんな僕はとにかく派遣社員として潜りこもうと派遣会社に登録しました。どこだったかは忘れましたが、全く仕事の紹介が来ません。
登録した所は確か有名な派遣会社だったので、応募してくる人材も良い人が多かったのだと思います。
数社受けても仕事の紹介が来ません。
最初は事務職を希望していたのですが、途中から営業職も希望しました。
するとコールセンターの仕事があるのですがと紹介が!
藁をすがる気持ちで勤務内容を聞くと時給が900円で、発信する仕事とのこと。
まぁ時給の低さにはびっくりしましたが、とりあえず一度でも勤務すれば経験者になれ、そのあとの窓口も広がるだろうと思い、受ける事にしたのです。
その後10年この業界にいる事になるとは当時のは思わず。
さて コールセンターの仕事ですが、発信と受信があります。
発信はもちろん皆さん経験済みだと思いますが、自宅や、携帯電話に突然知らない番からかかってくるアレです。
発信業務にはいくつか種類があり、現在何らかのサービス(携帯電話や、インターネット、保険、証券、)会社から委託され、電話代行会社でバイトや派遣社員が発信するパターンと、全く関係なく名簿を使って自社商品を購入してもらうために発信するパターンが主にあります。
発信、受信、管理職、全て両方経験しましたが、会社によって働く年齢層も時間や休憩は千差万別です。
個々の会社は今後深くお話しします。
話しは戻ります。
当時始めてのコールセンター発信業務です。
右も左もわかりません。
一台のPCがある机と、トークスクリプトと言われる。台本の紙切れが二枚だけです。
その台本には矢印がついており、この文言を話した後にはこっちにいけ、お客様にダメだと言われたらこっちに行けと、記載があります。
のちに僕はこのトークスクリプトを作る立場になるのですが、はっきり言って余り役に立ちません。
何か一つのサービスを売る発信の仕事ならば、ある程度のパターンしかないので応答も予想がつきますが、受信の仕事はトークスクリプトに収めれる以上の事を聞かれます。
なので恐らく最初にコールセンターで働くのは発信が、電話なれするにはおススメかもしれません。
当時二枚のトークスクリプトを渡された僕は、隣の人とお客様役と営業役に分かれて練習をします。(ロールプレイング)と言います。
もうドキドキです。
PCは別にインターネットが使えるわけでも無く、電話発信用のシステムが立ち上がってるだけでボタンを押せば勝手に相手にかかります。
時間になりました。
「ボタン押して電話して。」
経験者の方はすでにベラベラお客様と手慣れた感じでお話しをしています。
自分がボタンを押す瞬間はまるで、中学生の告白のボタンのようです。
心臓が止まるかと思います。
トゥルル、トゥルル。
「この番号は電波のいない所におられるか電源が入っていない為かかりません。」
セーフですが、生きた心地はしません。またボタンを押さなければならないからです。
いざ繋がると、セリフ棒読みです。
でももうその時は、契約取れるか否かよりもとにかく早く時間が過ぎ去ってくれるのを待つのみでした。
「いらんわ」
「結構です。」
「いいわ」
100人中90人は話しすら聞いてくれません。
発信前の練習では、契約までお客様役の人が付き合ってくれるので、話し位は出来るのだと思ってました。
しかし現実はガチャぎりばかり。
心折れます。
当時の僕は1日経過後 辞めようかなと思うくらいの精神的ダメージを受けました。
でも、メリットがいくつかあらました。
これも後ほど会社によって違うことが分かりますが、当時働いた所は1時間に一回に休憩があり、タバコが吸えたので気持ちの切り替えがある程度出来ました。
ジュースなどはいつでも飲んでいいですし。(工場時代、特に半導体工場などでは考えられません。)
何よりも、工場と違い、明るい感じのボーイ&ガールだらけでした。
工場勤務されてる方は給料日には風俗orパチンコに行く飢えたウルフような方々も多いと思います。
肩を出してバッチリ化粧をしている綺麗なオネイサマが沢山いる職場。
まさにドリームかも知れません。
そんなこんなで、コールセンターを続けている数週間後に事件は起こるのでした。